EUの「忘れられる権利」と「知る権利」の問題点

消しゴム

EUの一般データ保護規則案

海外に目を向けると、2012年にEUでは一般データ保護規則案で「忘れられる権利」が盛り込まれました。実際に海外でも、「知る権利」と「忘れられる権利」が衝突するケースも少なくないために、EUではこの様な権利を認めたのでしょう。

もっとも、日本で「知る権利」が認められたのは、今の憲法になってからの事です。それ以前には、「検閲」という制度があり、表現の自由さえ全面的に認められてはいませんでした。好きなことを文章にしたり、気に入った景色を写真に撮ったり、もちろん制限はありますが、認められたことで、私たちは多くの情報を集めることができる様になったのです。

プライバシー侵害と知る権利との対立

しかしそんな権利が、ある人々にとっては自身のプライバシーなどがいつまでも公開されたままになっていたりする問題を生みました。別の言い方をすると、「削除権」「忘却権」などとも言いますが、「知られたくない権利」もまた慎重に権利として認めなければいけない状況が叫ばれています。

検閲によって情報を公開することが出来ない規制を長く強いられてきたために、多くのマスコミでは「知る権利」の規制に消極的なのも事実です。彼らは、広く多くの人に情報を伝達することを使命としているからです。しかしインターネット上には、事実と異なる情報がいつまでも閲覧できるのも事実です。この相反した権利の衝突を今後どの様に捉えていくべきなのか、便利なインターネット時代だからこそとても重要で切実な問題となりました。

一方、現実的にはこれらの権利の衝突を踏まえて判断することだけでは追いつかず、特にインターネットで拡散してしまった情報を本当の意味で抹消出来るのかや、事実誤認と検閲の違いなども多くの人たちによって話し合われなければ決めることが出来ません。

仮にプロバイダーやサイトなどへ削除命令が容易に行えてしまうとそれはもはや検閲になってしまいますし、検閲だからと削除しなければ個人や団体などのプライバシーが意図しない形で公開されたままになってしまうジレンマを放置することになります。

法整備を行う上で、「知る権利」を損なわないように配慮しつつも、意図しない「知られたくない権利」「忘れられる権利」を認める条件を制定しなければいけません。

例えば「知られたくない権利」「忘れられる権利」が行使できるのは、個人や団体の情報が公に関わるものではなく、公開されたくない意思が明確な場合に認めるなどの条件を打ち出し、「知る権利」を訴える者や公共の福祉に害しないか日本でもEUのような検討を重ねなければいけません。以前は大きな問題ではありませんでしたが、今後はますますこの様な権利の衝突が起こってしまうのです。